【事実】「真面目」は、餌食。





私は、生まれてこの方
「真面目」と言われたことがありません。


学校は皆勤で風邪でも休むことはありませんでしたし、

宿題を忘れることもありませんでした。


夏休みの宿題は8月上旬にはほぼ終えていて、
残りの期間は読書感想文やポスター展の応募作品をじっくり仕上げるー。


そんな学生でしたが
「真面目」と言われたことは、一度もありません。




「やらなきゃいけないから、やる」というより

「スタートダッシュで先に進んでおいて、
あとから好きなことを夢中になってやる方が断然愉しい」という

戦略的に休みを謳歌するタイプでした。



同級生の目にも「戦略の上で遊んでいる」のがわかったのでしょう。

大人も子どもも、
そんな人に「真面目」という言葉は遣わないものです。






『真面目だね。』

こんな風に言う時、


善意で言ってはいるものの、
実はどこか賞賛し尊ぶ気持ちがないことに

皆、心の底では気付いているはずです。




「真面目」は、褒め言葉ではないのです。



「誠実」「実直」は褒め言葉ですが、

「真面目」はこれらとは違います。







「真面目」は
良しとされる規範を守り、レールから外れないことを指します。


言い換えれば、レールに乗っかってさえいればいいのです。


他人が敷いたものの上に乗っかっているだけ。

批判を受けないよう、体裁を取り繕うだけです。


頭を使って思考し、
より良くするためにはどうすればよいかを、考えることがありません。


漢字を見てみても、
「真」の「面目」さえあればいいことが分かります。








真面目にコツコツ努力すれば、いつか日の目を見るはずだ・・・。


特に日本人は、
この「真面目“神話”」に取り憑かれている傾向にあります。




発展途上にある間は
皆同じ方向を向いて、集団で突き進む方が強固で高効率です。


真面目人間を量産することで、急速な発展がもたらされます。

こういった社会では
「真面目」は褒め言葉かもしれません。



しかし
社会がある程度成熟しきって、さらに高みを目指そうとするとき
1本のレールでは不十分すぎます。


成熟社会では、集団で進む時代は終焉を迎え、個の時代になります。

人の数だけ自己実現の方法があり、変化や多様性が求められます。




この成熟社会では
思考しない「真面目」人間は、お荷物です。




いや、お荷物ならまだマシかも知れません。



私は投資家として、

常に相場を軸に考えます。




相場に「真面目」を持ち込めば、

それは途端に「負け」を意味します。




「真面目」=「餌食」

なのです。








「コツコツ頑張れば、きっと報われる・・・。」

そう考えている限り、一生勝てません。



相場は、個人の感情なんて全く無視します。

どんな手段であろうと、生き残った者が「勝組なのです。







私が裁量トレードから自動売買に切り替えようかと迷っていた頃、

これまで努力して裁量の腕を磨いてきたのに、
自動売買って裏技みたいで卑怯な気がする・・・。


このように考えていた時期がありました。




しかしそれは、
「ライオンが群れで狩りをするのがフェアじゃない」と言っているようなものです。


大きな牙をもち、群れで狩りをしても
真剣勝負で命懸けなのに変わりはありません。



首元に噛みつかれたシマウマが

「真面目に生きてきたのに・・・」とか
「1対1で戦って殺される方が良かった・・・」なんて

安っぽい負け惜しみを言うでしょうか。


敗者もまた、全力でその命を生き切っているのです。





喰われる命が、次の命に繋がる。

ただそれだけのことです。









相場は、たくさんの命を奪う場所でもあります。



いま私は安定して利益を出していますが、

その裏で何人のトレーダーが市場の養分と化し、命の灯火が消えてきたのか・・・。と

ふと考える時があります。





きっと、一人や二人ではないでしょう。



そう考えると、とてもSNSに
札束の山や、戦利品としてのブランド品の写真を何枚何枚も載せる気は起こりません。



私がにフォーカスして過ごしているのは
文字どおりをいただいていることを忘れずにいたいからかもしれない・・・。


美味しいものを頬張りながら、こんな風に考えています。









繰り返しますが、

「真面目」人間思考することがありません。






本気で稼いで成功したいと思えば、

思考は切っても切れないものになります。






思考すること自体は誰にでも出来ますが

思考の「次元を上げようとすると、忽ち難しくなります。



相場で勝つことよりも、

ずっとずっと困難を極めます。







相場で勝つためにどんな手段を使うか、なんて些細な問題です。



自動売買だろうが何だろうが、

真剣な命のぶつかり合いであることに変わりありません。






自動売買に切り替えてから、

私は「考える時間」を思う存分もてるようになりました。




私には、この「考える時間」を


消えていった命の代償として

「貧弱で薄っぺらいものにはしない」という覚悟があります。






この覚悟は


真面目“神話”を捨てた時に生まれたと、



確信しています。







最後までお読みいただきありがとうございます。

バイナリーオプションに関する
サインツールのシェアリングをご希望の方は、

コチラをご覧ください。



ブログランキングに参加しています。
↓ポチッと応援していただけると、大変励みになります!^^

にほんブログ村 為替ブログへ


よく読まれている記事