「自己正当化」は敵か、味方か。



投資家として日々「生きるか、死ぬか」という相場に何年も身を置いていると、

初心者の頃には死にかけた経験も何度かあります。

生きようとして死にかけたのですから、
そこに至るまでの行動は失敗だったといえます。




ところが人間、その「失敗」を認めたくない気持ちがどこかに必ずあるものです。


自分を否定する現実を拒否しながら、
何か都合の良い言い訳だけは目ざとく見つけてそれを採用するのです。





失敗は自分のせいじゃない。
自分は悪くないのに、○○の悪影響を受けてしまっただけだ—。


こんな風に自己正当化することで、心が折れないように制御しています。


そうすればまた前を向くことができますから、新しい挑戦もできるかもしれません。



そして、

失敗は、成功のもと

この故事を、さも“格言”のように心に掲げて歩み始めるのです。





私は、この故事については軽々しく掲げられるものではないと思っています。

本当の意味を理解せずに使えば、
失敗を続ける言い訳にしかならないからです。





確かに突然成功がやって来るわけもなく、失敗の経験の後にしか成功はありません。


ですが、
ある一つの成功を次なる成功のもととする方がよほど効果的で、爆発的に大きな成功に繋がります。


このことは私が説明するまでもなく、
単純明快で誰にでも理解できる仕組みだと思いますが



成功は、成功のもと」と叫んだところで万人に受け入れられることはないでしょう。

むしろ
失敗は、成功のもと」と叫ぶ方が、万人受けします。





つまり皆、

その言葉のうわべだけ理解したつもりになって、成功できない自分の言い訳にしやすいから多用している現状があります。




何よりも、心のどこかで

「成功のもとになるのだから、また失敗してもいい」

と思ってしまうことが最大の失敗です。




「失敗は許されない」という背水の陣で挑まないと、成功なんてあり得ません。




人間は、それ以上失敗できないという崖っぷちまで失敗を続けないと
それまでの失敗の意味を本当の意味で心底受け入れることができない悲しい生き物です。


言い換えれば、このような「崖っぷちで受け入れた失敗」であれば「成功のもと」になり得るということです。



だからこそ私は、特に投資やビジネスでは
死にかけて生還を果たした人の言葉しか信用できません。


SNS上のFX関連業者によくある
「学生の私にも簡単に稼げた!」「子育てしながら爆益!」「よくわかんないけど、勝手に残高が殖えてる!」
といった類を信用できない人は、きっと私と同じ思いなのではないでしょうか。

爆益の世界は確かに存在しますが、失敗続きで崖っぷちにいる人、則ち
「本当の意味で現実を知り、成功以外に道が無い人」には上に示した例は受け入れ難いものでしょう。




投資やビジネスを通して年に何億、何十億円と稼いでいる人は興味深い経験をしています。

路上生活をしていたら刺されそうになったとか、片耳の聴力と引き換えに難を逃れたとか、校庭の花壇の草花を食べて飢えを凌いだとか・・・。

想像を絶するのにリアリティがあって、目の前で聞くと不思議な説得力があります。笑




そうした彼らが、
なぜそんな極限状態から挽回して成功を収めるようになったのか。


そこにはある共通点があります。

彼らは幸運不運も、地球上に起こる全ての事象を受け入れているのです。

言い換えれば、
自分の身に降りかかる全ての「理不尽」をも受け入れた上で行動しているのです。




軽い失敗なら理不尽を拒否して生きることもできるでしょうが
死にかけの極限状態では、いかなる理不尽も受け入れざるを得ません

「次」が無いのですから。


理不尽は、誰の身にも降りかかります。
避けようとしても避けられないものもあります。(だからこそ「理不尽」なのですが)


ある夏の夜。
路地の脇での土の中から出てきたばかりのセミの幼虫を見かけました。

おぼつかない足取りで植え込みから離れ、道路の中央へと向かっていきました。
街灯の明かりの所為かわかりませんが、セミは木々が生い茂る場所からどんどん離れていくのです。

今にも脱皮しようとしているのにどこに向かうのか。
当の本人は懸命に脱皮に最適な場所を探していたのかもしれません。

そうやって黙って見ていると、滅多に車が通らないその路地にミニバンがやって来ました。
何もしなければ轢かれてしまう際どい場所。


私は見るに見かねてその幼虫を植え込みの中に戻しましたが、

あのまま轢かれて死ぬのが都会に生きる自然の掟
本来の在るべき姿です。


今回は私がつい特別扱いをしてしまいましたが、
脱皮前だからといって幸運に包まれ、命が助かる保証なんて本来はないのです。



なぜそのタイミングでミニバンが来たのか。
あと数分ズレていれば危機に晒されることもありませんでした。

不運というか、タイミングが悪すぎるというか・・・。


それでも全てが自然の掟であり、

堂々とまかり通る「理不尽」です。





人間の世界も同じです。

確率0.01%の、文字どおり「万が一」の不運も
必ず1万人に1人の身に降りかかっています。

自分がその1人にならない保証なんてありません。

相場に身を置くと、切に感じます。

セミも私も、同じ。違いなどありません。

車に轢かれて死んだとしても、セミは無に還るだけです。

もし片足だけを轢かれたとしても、その不完全な身体で一週間の命を全うするのでしょう。


理不尽は
避けるか、避けないかではありません。

受け入れるか、受け入れないかです。


そして受け入れた上で行動できる人しか、
本当の意味での「強さ」は身につけることはできません。




自己正当化は心を折らずに次に挑戦できる、というメリットはあります。
これを「味方」と捉えることもできるでしょう。

しかしそれは、平常運転を再開するための心の安全機能でしかありません。

自分の力ではどうしようもないことも全て受け入れる。
受け入れてから、どう生きるか。


その視点が無ければ、

「自己正当化」は繰り返し失敗を誘発させる「にしかならないのです。






最後までお読みいただきありがとうございます。


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