未来に招かれる人、追い払われる人




以前の記事で、

マネーゲームの外へ出て「人生」を見つめたとき
そこは、お金で勝ち上がっていく世界ではありません。


と書きました。


今回はこの点を掘り下げて書きます。




「お金の力」相反するものとして、私は「表現の力」があると思っています。


お金の力を信仰する人は、
努力することなく、本当は在るはずのない絶対的な幻想にすがっています。


表現の力を磨く人は、
全身で感じた目に見えない心の動きをいかに表出するか、自分の力で感性を開拓しています。


例えば歓喜や驚嘆を感じた時に、それを巧く表現した人が未来を掴んでいきます。



表現にこそ「人となり」が表れ、人と人との心の結びつきが生まれるからです。
(私はこの「結びつき」を「エンゲージ」と呼んでいます。)





最近の出来事なのですが、ある割烹のカウンターで
豚の角煮を食べていた若いカップルが「これ、柔らかすぎん??」という会話をしていました。

ホスピタリティ溢れるお店だったため、女将が「申し訳ありません。お口に合いませんでしたでしょうか…」と即座に謝っていました。

するとそのカップルは「柔らかすぎて美味しいんです…!」と答えていました。


「これ、柔らかすぎん??」はどう考えても日本語としては「柔らかすぎて不味い」の意味ですし、
そもそも「柔らかすぎて美味しい」なんていう表現はありません…。

(メディアに「美人過ぎる〇〇」の特集が増えた弊害でしょうか…(;´Д`))



結果的に悪意のないことが伝わって良かったものの、普段から「やべえ」「はんぱねえ」だけで会話をして表現力を磨かずにいると、

伝えるべき時に逆の意味で受け取られかねないということです。


美味しい角煮をいただくより先に、本を1冊でも読んでおくべきだったのでしょう。




予算を奮発して話題のお店のお料理をいただくことが「美味しい」ではありません。

偶然にもその時、その場に居合わせた人と共有し理解し合う「何か」が私にとっての「美味しい」の本質です。


仮に「とっても柔らかいですね。」という月並みな感想に対しても、
女将は「〇〇という豚肉を使って、〇〇という調理法でつくっています。」と教えてくれるかもしれませんし、隣の席の方がその会話に参加するかもしれません。


そうやって知識が増えたり、ちょっとした出逢いという意味での「エンゲージ」があるだけでも、より一層美味しく感じるものです。

そこに表現力が加われば、お互いにさらに貴重な体験に昇華され「忘れられない美味しさ」になることでしょう。






『食』を例に挙げましたが、

表現とは語彙や言葉遣いだけでなく、声や表情、目線、身体の動き、色彩感覚、香りの選択など
「人から発せられる全てのもの」を言いますから

音楽、美術、スポーツ、プログラミング、ネット販売、ファッション、接客、教育、医療などにも同じように当てはまります。



どの分野もエンゲージのない人が未来を掴むことはありません。





世界は様々な「遊び」に溢れています。
特に日本の場合は1000年規模で時代を遡ると「ことばあそび」に辿り着きます。

「連歌」のように上の句と下の句を別の人が詠む「あそび」を例にとっても、
歌の出来不出来以上に「エンゲージ」を愉しむために生まれたことは容易に想像がつきます。

エンゲージのできる人は重宝され、様々な場に招かれたことでしょう。



生活水準の高いいわゆる「上流階級」になるほど

無能なままではどんなに金銀財宝を目の前に積んでも門前払いされますが、

エンゲージがあれば、向こうから声を掛てくる世界なのです。







私は投資で利益が出ていることを比較的オープンに話すタイプです。

それゆえ特にTwitterでは、見ず知らずの人から「お金をください!」と突然DMが送られてくることもしばしばあります。


そんなDMを送る人の気が知れませんが、お金にゆとりのある人なら少しくらいくれるはずだ、とでも考えているのでしょう。



残念ながら、本当に実力で稼いでいる人ほど
「支援(投資)するかどうかの判定基準」は厳しいものです。


それは「自分が苦労したから他人にも苦労を強いる」という意地の悪い話ではなく

単に、「支援に値するかどうかを見極める視点が鋭くなっているから」です。




どんぶり勘定をするのは、能力のない人です。

1mm単位で物事を測ることができるのは、能力があるからです。

1mmの違いを妥協をしないからこそ、稼げているといえます。



トレードで言えば、pips、ロット設定、複利をかける速度、BET数…書けばキリがありませんが

稼げるトレーダーほど紙一重の違いに拘り、絶妙なバランスで仕掛けています。


針に糸を通すような行動をしている人に、無骨に大縄をもって近づいても
共通言語にはなり得ません。

むしろ横槍にしかならず、「あっちへ行け」と追い払われます。

針に糸を通す能力が無かったとしても、せめて糸を持って会いに行かなければ
「同じ言語で会話がしたい」という意思表示にはなりません。

唐突にDMで「お金ください」と送っても、心を介したやりとりをする気がないと判断されるだけで相手にされません。
DMの前にすべきことがあるでしょう、という話です。



表現力を磨くには、「知性」を養わなければなりません。

「知性」「経験」の積み重ねによって育まれていきますが、その「経験」「行動」に端を発します。

(言うまでも無く「学び」はその基礎として必要最低のものです。
「学びが苦手」「学びなんてキライ」という人は、一生を通して何も積み上げることはできません。)


構成要素の順に言えば、
「(学び→)行動→経験→知性→表現力」となります。


私たちの身体が
「(タンパク質→)遺伝子→細胞→臓器→身体」という構成をもつように、その仕組みが階層化しています。



つまり表現力遺伝子は、行動にある」ということです。



行動できない人の一生に、未来はありません。



人生には直面しなければならない課題が山のようにありますが、

行動しながらそれを解決する際の表現力によって一つ上のステージに進むことができ、それが実力となっていきます。


振り子のように「左右」に動くのではありません。
「上に進む」のです。







お金の力を信じていた人は、

まずその「お金との向き合い方」を変えてください。



以前の記事で「お金に力はない」と繰り返し書きましたが、
一方でその利便性については、私は地球随一だと認めています。


『人生の武器となる「表現力」を磨くために最も利用できるほど便利』と言えるくらいです。


お金があれば「行動」の必要経費に頭を悩ませる必要がなく、労力のムダを省けるからです。


だからこそ私は、相場を生きながら常にその「向き合い方」を考えています。



お金はうまく遣え。ただし、その力を信仰してはならない。

人生の愉しみは、表現力の先にある。




2つの記事に渡って書いてきたのは、この2点です。

お金に関することで切羽詰まるほど忘れがちな2点ともいえます。


折角この世に生を受けたのですから

一度しか無い人生、欠けることなく満ち足りて、思う存分愉しみたいものです。







最後までお読みいただきありがとうございます。


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